公益財団法人河村美術館は、創設者河村晴生(1924〜2010)が私財を投じ、父 河村龍夫(1893〜1976)が永年に亘り蒐集したコレクションを広く社会に公開したいとの願いと、これらの散逸を防ぐ目的を持って、龍夫の生地である唐津市に佐賀県認可第一号の財団法人美術館として1990年(2014年4月に公益財団法人に移行)に設立されました。

主な所蔵品としては、若干28歳8ヶ月で夭折した九州の生んだ天才画家 青木繁(1882〜1911)の作品を20点(内5点個人所蔵)常設展示する他、東洋美術展示室、西洋美術展示室、企画展示室とバランスのとれた多彩な収蔵を特徴としています。

河村龍夫(かわむら たつお)

河村龍夫

1893 年(明治 26 年)唐津市十人町に生まれる。

父 満太郎 母 こく の長男。家長に嘉一郎(初代唐津市長)がある。 河村家は代々、坊主町に住む 御典医の家柄であったが、のち後継者なきため神社 奉行系に勤め、城内二の丸に居を移した。 龍夫翁は、幼児より才気縦横にして、煥発の概があり、唐津小学校から唐津中学、 第四高等学校、東京帝国大学経済学部に進んだ。

 卒業後、合資会社住友伸鋼所入社。後年、住友金属工業株式会社と社名変更。 昭和17年、満州住友金属工業株式会社 常務取締役に就任。昭和21年終戦により帰国。 帰国後 財閥解体に遭い、昭和 22 年住友資本の入らない ヰゲタ鋼管株式会社社長に 就任、昭和 35 年同社が山本興業株式会社と合併して、住金物産株式会社となるや、 社長を辞して取締役相談役となる。

 社長辞任の退職金を老人福祉法の制定公布を待って昭和 39 年唐津市老人福祉 センター建築基金として唐津市に寄付した。 また龍夫翁は、佐賀中央銀行相談役として、佐賀中央と佐賀興業両行を合併させ、 昭和 30年佐賀銀行発足と同時に同行相談役を引き受けた。 老いても、なお書見を忘れず、文筆をよくす。青木繁を好み、最初の作品である「ランプ」 最期の作品である「夕焼けの海」をはじめ 16 点を蒐集した。

1976 年(昭和 51)大阪住友病院にて没。